コミュ障の男が何かするブログ

ただのコミュ障の暇潰し日記ブログです

不謹慎だと思うが人の死は自分の生を駆り立てる。コミュ障の語り

不謹慎かもしれないが、僕は同年代の人間の死亡記事やニュースを見たりすると、改めて自分が生存競争の中で生き残っていることにある種の優越感を感じる。

 

僕にとって彼らの死は僕の生きる原動力だ。

 

彼らは死んで僕は生きている。

 

生き残りたい。

純粋にその思いが自分の生を駆り立てる。

 

九州では、悲惨な雨が続いている。

被害者も少なくない。

僕は不謹慎とわかっていながらも、死亡記事を探してしまう。

そして、自分が生きていることに安堵する。

僕は自分の気持ちが死にたいなどの方向性に向かっているときに、過去の同年代の死亡記事を確認、もしくは探索行為をしてしまう。

 

僕は異常なのだろうか?

 

人の死を踏み台に自分の生を見出だすことが異常なのだろうか?

 

僕にとって同年代の死は、僕は死んでしまったが、あなたたちは生きてくれ!というメッセージだと解釈している。

彼らは死んだ、でも僕は生きている、じゃあ彼らのぶんまで生きよう。このプロセスが大事だと僕は思う。

 

涙をながして可哀想…

 

ツイッターで可哀想とつぶやいて、ハイ終わり

じゃないと僕は思う。

 

これから先もおおくの人がこの世からはみだしてしまうだろう。それは自分かもしれないし、となりにいる人かもしれない。

でも、たとえ自分がはみ出したとしても、自分の死を踏み台に誰かが生きようと思ってくれたならば、

僕はどんな理不尽な死でも、きっと受け入れるだろう。